国立あおやぎ苑 開苑までの軌跡

医療法人社団 国立あおやぎ会

創業者 常務理事 中川 進

 此の度、後世の為に国立あおやぎ苑創設の経緯を残して置かなければとの思いでペンを執りました。

●平成7年9月 秋田から東京進出への重役を担い突然の人事異動

 今になって思えばそれは私に対しての突然の東京行の人事異動が発令された平成7年9月のことでした。当時勤務していた医療法人久盛会 (秋田県秋田市) 理事長後藤忠久先生からの内示が国立あおやぎ苑のスタートとなりました。 後藤理事長の考えは老人保健施設の整備が遅れている東京都内の高齢者の為に老健を開設しようとの思いから当時同法人の老健で事務長をしていた私に東京進出の大役が来たもので、 開設地区をJR中央線沿線に設定して関係機関との協議を進める為平成7年10月東京渋谷区原宿に同法人東京事務所を開設し単身で着任しました。

●平成8年4月 やっとの思いで漕ぎつけた国立市での開設へ希望の光

 土地取得予算の関係もあって、 八王子地区からスタートしましたが八王子地区には既に老健が8か所開設されているのでこれ以上の開設は八王子市としては認められないとの事で断られ、 続いて相談した日野、 昭島、 東大和、 立川市からも当時老健に対しての関心が低く断られる状況が続きました。 JR中央沿線での開設は無理なのではないかと思いつつ飛び込んだのが国立市社会福祉課でした。 その時応対して下さったのが大沼信一さん (現国立市企画部長) でした。 初対面の時に言われた言葉は今でも忘れられません。 それは国立市の財政事情が厳しいので補助金等は出せないが国立市は老健施設の整備を重点施策に位置付けしているのでぜひ進めて下さいとの言葉でした。 帰る時、大沼さんより国立市の福祉計画書を頂戴し東京での老健開設が一歩前進したとの思いがしました。

●平成8年6月 東京進出目前で突然の計画中止に…

 その後国立市内の不動産業者等を訪問し土地情報を収集し、 間もなく、 現在国立あおやぎ苑が建っている土地を紹介され、 土地所有者の土方政蔵様の代理人である土方重雄氏 (現当法人常務理事) と交渉を進めながら併行して東京都衛生局 (当時) との間で老健開設計画の事前協議に入りました。 土地の交渉及び東京都との事前協議も順調に進んでいて老健開設に向けて好感触を持ち、 老健開設の本格的スタートが出来るものと思っていた時に、 後藤理事長より東京での老健開設計画に対して取引銀行から協力出来ないとの報告を受け計画を断念したので秋田に戻るよう指示を受け平成8年6月秋田に戻る事になりました。

交渉内容を記したノート

●平成8年7月 自らの力で創業を決断

 秋田に戻りましたが、老健の建設に協力いただいた方々の事、国立市では老健施設が足りなく、必要としている方がたくさんおられる事。私の中で国立市で老健施設を建てたいという思いが日に日に強くなっていきました。 既に土地の仮契約を終っていたので土方重雄氏に事情を説明、 お詫びの為訪問した際に、 私の方からこの土地を貸して下されば老健は開設出来る事を説明しました。 土方さんより自分自身も福祉事業には以前から関心があったので協力しても良いとのご返事を頂きました。 この間の事情を前記医療法人の後藤理事長に説明し円満に同法人を退職させてもらい、 再度東京に戻って国立市に老健開設を決断し、 土方さんのご協力もあって平成8年7月11日国立あおやぎ苑開設準備室を開設しました。

●いくつもの越えなければならない高いハードル

 開設までにはいくつもの高いハードルが予想され不安もありましたが開設を決断した以上、 希望をもって前に進むよりありませんでした。 先ず越えなければならないハードルは医療法人の設立です。 医療法人の理事長は医師又は歯科医師でなければならないとの医療法の指導がある為さっそく秋田での仕事上のお付合いをしていた、 有限会社東北医療産業岡部社長の友人で当時東京順天堂大学病院のレントゲン技師をしていた森清光さん (現当法人非常勤監事) を紹介されました。 森さんに計画の概要を説明し医療法人の理事長は老健の事業計画に伴う借入金に対して個人で連帯保証人とならなければならないので人選は厳しいと思いましたが格別のご協力をお願いしました。

建設中の様子

●理事長就任と資金調達

 まもなく現在の当法人理事長の太田怜先生との出合いとなりました。 太田先生には私の今迄の経歴、 今回の事業計画内容等を詳細に説明したところ心よく理事長就任を承諾下さり、 この時点で医療法人設立の目途が付きました。 次の高いハードルは事業資金約13億円の調達でした。 自己資金となる出資金は580万円よりなく事業資金の大部分は国及び東京都からの補助金約7億円と金融機関からの借入金5億円、 それとリース1億円でした。 特に民間金融機関からの借入を予定していた1億6千万円の調達には大変苦労しました。 最初に相談した大手都市銀行には1ヵ月近くの期間を掛けて誠実に事業計画を説明し私共が進めようとしている老人保健施設事業は国の重要政策である少子高齢化問題にも対応する公共性の高い事業である旨再三に亘り説明しましたが理解を得られず融資を断られました。 幸い他の金融機関にも融資相談を進めていた時に土方重雄さんより地元金融機関の多摩中央信用金庫東立川支店を紹介されお陰様で比較的短時間で融資の決定を受ける事が出来ました。 残りの金融機関借入先は政府系金融機関とリース会社であったので民間銀行の借入金が決定した事によって高いと思っていたハードルを無事越える事が出来、 老健開設に向けて大きく前進する事になりました。

●優秀なスタッフの確保

 次のハードルはスタッフの確保でした。 特に老健の目玉であるリハビリスタッフの確保については当時から多くの老健で苦労していましたので早い時期から各方面に相談し特に力を入れたのがリハビリ機器納入業者との交渉です。 機器購入を条件に情報の提供を要請したところ早い時期にリハビリスタッフを確保する事が出来ました。 次に確保が厳しいと予想していた看護職についても早い時期から、 ナースバンク立川、 ハローワーク、 新聞広告等により募集を進めた結果老健施設の人員基準の14名より多い18名の採用が決まりました。 老健では一番人数の多い介護職員の確保については地元国立市にあるYMCA福祉専門学校及び町田福祉専門学校、 それにハローワーク等に募集広告を出し、 採用に努めた結果、 老健の人員基準の34名より多い40名の採用が決定しました。 又施設運営で重要な部分を占める相談職員については国立あおやぎ苑の相談職員として育成して行く考えからあえて新卒の職員を採用し平成10年7月頃には全てのスタッフの採用が決定していました。

予約時のパンフレット

●開設までに130人もの施設利用者が予約

 次のハードルは施設利用者の確保でした。 建築工事の始まった平成9年10月頃から老健のPRの為国立市内の各種団体等に積極的に接触しながら平成10年8月には相談室を開設し予約登録を進めた結果平成10年10月の開設時には定員一杯の130名の予約名簿が出来ていました。 老健のPR活動及び相談室開設時での質問の多くは老健という所はせっかく入所出来たのに3ヵ月、 6ヵ月等で退所させられるが国立あおやぎ苑も同じかとの質問でした。 介護者の不安を少しでも軽減出来るように国立あおやぎ苑は入所者がリハビリ等によって在宅に戻れるようになるまでお世話しようと考え施設の方針としました。 この方針は現在も変っておりません。

●平成10年10月 遂に国立あおやぎ苑の開苑

 施設利用者の確保在宅での介護が困難な痴呆症の家族を抱えている方からの相談には特に積極的に対応しようと考えそれまでは東京都内の老健では少なかった痴呆専門棟を設置しました。 建築工事も予定通り進んでおりましたので平成10年9月1日には全てのスタッフ出席による入社式を実施し開苑に向けての準備は全て終了しました。 後は開苑予定日の平成10年10月12日迄をリハーサル期間にあて、 併行して入所予約をもらっていた方の入所スケジュールを検討し職員の不慣れ等からの事故を未然に防止する為3ヵ月程度の余裕期間をもって入所を進めました。 開設後は質の高いサービスを継続して行く為にも先ず経営の安定化が重要と考え特に国立あおやぎ苑が必要とする人材の育成に努めました。 この問題は現在も最重要のテーマとして常に私の頭から離れません。

開苑時の様子

●平成12年11月 開苑2年目で最大のピンチが!10憶近くの資金が早急に必要

 お蔭様で国立あおやぎ苑は多くの人達の特別のご協力もあってここまで来ましたが、 全て順風満帆ではありませんでした。 自分が思うに、 この法人のピンチは漸く経営も軌動に乗って職員も安心して仕事をしていた平成12年11月に起こりました。 それ迄借地していた土地を購入しなければならない事情が発生した時でした。 約10億円近いお金が必要となり、 自己資金がない為、 全額銀行からの借入となる関係で、 はたして銀行が貸してくれるかどうか不安でいっぱいでした。

●ピンチから一転して経営の安定へ

 この事について法人設立以来取引していた多摩中央信用金庫東立川支店に先ず相談し、 併行して西武信用金庫立川南口支店にも相談した結果、 両信用金庫から、 負担が増加するが、 将来の法人運営を考える時、 土地購入によって経営基盤を整備する事が重要とのアドバイスもあり、 且つ引き続き支援を得られると判断し、 土地の購入を決断し、 理事会の承認を得ました。又、 経営基盤の安定の為、 法人の定款一部変更を実行し、 出資持分の払戻しを出資額限度方式に改正し、 法人の永続性を図りました。 又、 当法人役職員が安心して仕事が出来るように理事構成の見直しを実施し一部役員の退任と新理事として職員代表及び国立市に、 福祉に理解のある方の紹介をお願いし国立市OBの福祉部長経験者を理事として迎える事が出来ました。 毎月定例理事会及び幹部職員による幹部会を間催し経営資料等を積極的に情報開示し役職員間の信頼関係の向上に努めた結果経営内容及び業績は飛躍的に向上しました。 これからも地域になくてはならない老健を目指し、 より一層努力する事をお誓い申し上げ引き続き地域の皆さまからのご支援とご厚情を賜わりたく、 お願い申し上げる次第です。これまでに当苑事業の設立・遂行にあたり、 自治体の福祉保健関係の皆様、 金融機関の方々そして沢山の会社の方々から絶大な御支援・御協力を賜りましたことに心より厚く御礼申し上げます。 同時に当苑の種々の介護サービスを御利用して頂いた多くの皆様にも深く感謝申し上げます。

医療法人社団 国立あおやぎ会

創業者 常務理事 中川 進

沿革

平成9年2月 医療法人社団国立あおやぎ会設立
平成10年10月 介護老人保健施設国立あおやぎ苑 開設
入所定員130名(内認知症専門棟30名)通所定員30名
平成11年6月 国立あおやぎ苑入所定員変更 130名→136名(内認知症専門棟36名)
平成11年11月 国立あおやぎ苑通所定員変更 30名→50名
平成13年1月 国立あおやぎ苑底地購入 購入価格9億円
国立あおやぎ苑入所、通所定員変更 入所136名→146名(内認知症専門棟46名)通所50名→80名
平成13年4月 認知症高齢者グループホームあおやぎの家 開設 定員9名
平成14年4月 居宅介護支援事業所 国立あおやぎ苑富士見台介護相談センター 開設
平成16年12月 介護老人保健施設国立あおやぎ苑立川 開設 入所定員148名(内認知症専門棟45名)通所定員50名
平成17年1月 グループホーム立川富士見町の家 開設 定員9名
平成17年5月 谷保デイサービスセンター 開設 定員15名
平成17年12月 居宅介護支援事業所立川介護相談センター 開設
平成18年12月 国立あおやぎ苑立川 訪問リハビリテーション 事業開始
平成19年3月 ケアハウス国立あおやぎ苑立川 開設 定員50名
平成20年11月 立川南口デイサービスセンター 開設 定員30名
平成21年4月 国立あおやぎ苑立川 通所定員変更 定員65名
八王子健康管理センター事業承継
平成21年6月 国立あおやぎ会太田怜理事長退任
新理事長に大冨眞吾就任
平成21年6月 国立あおやぎ苑立川 施設長に大冨眞吾就任
平成21年10月 介護職員処遇改善交付金制度始まる
平成21年11月 国立あおやぎ苑立川開設5周年記念式典を開催
平成22年3月 国立あおやぎ苑立川 入所定員変更 定員148名→151名(内認知症専門棟45名→48名)
平成22年11月 八王子デイケアセンター開設 定員40名
平成23年3月 東日本大震災発生
平成23年4月 東京都老人保健施設協議会北多摩南ブロック会会長に大冨理事長就任
平成23年10月 全国老人保健施設協会岡山大会演題発表にて奨励賞受賞
国立あおやぎ苑立川演題 ICF移動項目の活用による転倒・転落防止の取り組み
平成23年10月 谷保デイサービスセンター移転、定員変更 定員30名→48名
平成23年11月 八王子デイサービスセンター定員変更 定員40名→60名
平成25年4月 一般社団法人東京都老人保健施設協会理事に大冨理事長就任
訪問介護ステーション国立あおやぎ苑 開設
平成25年7月 国立あおやぎ会中川常務理事、厚生労働大臣表彰受ける(老人保健施設従事者功績)
平成25年12月 国立あおやぎ苑縄文棟 開設 入所定員120名(計266名)通所定員40名(計120名)
平成26年9月 医療法人社団 国立あおやぎ会日比谷公園クリニック 事業承継
平成26年10月 クリニック国立あおやぎ苑(有床診療所)開設 療養病床17床
平成26年12月 国立あおやぎ苑立川 開設10周年記念式典を開催
平成27年4月 大冨眞吾理事長 瑞宝中綬章 授賞
平成28年1月 クリニック国立あおやぎ苑名称変更 「みのわ通りクリニック」へ
平成28年11月 訪問介護ステーション国立あおやぎ苑 移転
平成29年5月 医療法人社団 国立あおやぎ会日比谷公園クリニック 事業譲渡により撤退
平成30年5月 介護専用型軽費老人ホーム ケアハウス国立あおやぎ苑 開設 定員50名
平成30年10月 国立あおやぎ苑 開設20周年記念式典を開催
令和2年4月 八王子居宅介護支援事業所 開設
令和2年7月 小規模介護老人保健施設 国立あおやぎ苑 みのわ通り 開設